岩崎弥太郎の概要
人物名 | 岩崎弥太郎 |
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英語名 | - |
生年月日 | 1835年1月9日 |
没年月日 | 1885年2月7日 |
享年 | 50歳 |
国籍 | 日本 |
職業 | 実業家 |
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- 岩崎弥太郎は、明治維新の重要な時期に活躍した日本の実業家。
1835年、土佐国(現在の高知県)で地下浪人の家に生まれました。
若い頃、父親の不当な逮捕に対抗し、自らも投獄されるという経験をしましたが、これが後の商業への道を開くきっかけとなります。出獄後、彼は少林塾に入塾し、土佐藩の吉田東洋に仕えました。
長崎に派遣された際、西洋との交流を深め、国際感覚を磨きます。
その後、土佐藩の開成館長崎商会で重要な役割を果たし、特に樟脳の取引で腕を振るいました。明治維新後、岩崎は政府の藩営事業禁止政策を機に、九十九商会を設立し、海運業に着手します。
やがてこの会社は三川商会を経て、三菱商会へと発展しました。三菱のマークである「スリーダイヤ」は、この時期に岩崎によって考案されたものです。
彼の商才は、新政府が藩札を全国統一の紙幣に買い替える際にも発揮され、大きな利益を得ました。
また、明治政府の台湾出兵時には、三菱が軍事輸送を担い、その後の三菱の成長に大きく貢献することとなりました。岩崎弥太郎の生涯は、日本の近代化と密接に関わるものでした。
彼のビジネスセンスと先見の明は、今日の三菱グループの礎を築き、日本経済史においても重要な役割を果たしています。
岩崎弥太郎の名言一覧
1.
およそ事業をするには、まず人に与えることが必要である。それは、必ず大きな利益をもたらすからである。
– 岩崎弥太郎 -7167
2.
よく人材技能を鑑別し、すべからく適材を適所に配すべし。
– 岩崎弥太郎 -7166
3.
酒樽の栓が抜けたときに、誰しも慌てふためいて閉め直す。しかし底が緩んで少しずつ漏れ出すのには、多くの者が気づかないでいたり、気がついても余り大騒ぎしない。しかし、樽の中の酒を保とうとするには、栓よりも底漏れの方を大事と見なければならない。
– 岩崎弥太郎 -7159
4.
機会は、人間一生のうちに誰でも、一度や二度は必ず来るものである。それをとらえそこねると、その人は一生立身できない。
– 岩崎弥太郎 -7164
5.
勤倹身を持し、慈善人にまつべし。
– 岩崎弥太郎 -7162
6.
断じて投機的な事業を企つるなかれ。
– 岩崎弥太郎 -7153
7.
小僧に頭を下げると思うから情けないのだ。金に頭を下げるのだ。
– 岩崎弥太郎 -7157
8.
奉公至誠の念にすべて寸時もこれを離るべからず。
– 岩崎弥太郎 -7151
9.
創業は大胆に、守成は小心たれ。樽よりくむ水にまして、洩る水に留意すべし。
– 岩崎弥太郎 -7155
10.
国家的観念をもってすべての経営事業にあたるべし。
– 岩崎弥太郎 -7161
11.
樽の上からすくって飲むやつは、たとえ一升飲まれても、三升飲まれてもたいしたことはない。怖いのは樽の底から一滴でも漏ることだ。
– 岩崎弥太郎 -7154
12.
人材の育成は学問のある者を積極的に用いよ。
– 岩崎弥太郎 -7156
13.
自信は成事の秘訣であるが、空想は敗事の源泉である。ゆえに事業は必成を期し得るものを選び、いったん始めたならば百難にたわまず勇往邁進して、必ずこれを大成しなければならぬ。
– 岩崎弥太郎 -7160
14.
一たび着手せし事業は必ず成功せしめざるべからず。
– 岩崎弥太郎 -7165
15.
機会は魚群と同じだ。はまったからといって網をつくろうとするのでは間に合わぬ。
– 岩崎弥太郎 -7163
16.
部下を優遇するにつとめ、事業上の利益は、なるべく多くを分与すべし。
– 岩崎弥太郎 -7152
17.
小事に齷齪(あくせく)するものは大事ならず。よろしく大事業経営の方針をとるべし。
– 岩崎弥太郎 -7158