セネカはどんな人物?
人物名 | ルキウス・アンナエウス・セネカ |
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英語名 | Lucius Annaeus Seneca |
生年月日 | 紀元前1年頃 |
没年月日 | 紀元後65年4月 |
享年 | 不明 |
国籍 | ローマ帝国 |
職業 | 政治家、哲学者、作家 |
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- 古代ローマ帝国の政治家、哲学者、詩人であり、ローマ帝国の歴史の中でも特筆すべき人物です。
彼は紀元前1年頃(または紀元前4年頃)にヒスパニア・バエティカ属州のコルドバで生まれました。
彼の家系は騎士階級に属し、裕福な地主でしたが、元老院議員を輩出した家系ではありませんでした。
幼少期はコルドバで過ごし、12歳または13歳の頃に家族と共にローマへ移住。
ローマで雄弁術や修辞学を学び、その後は哲学に専念。彼は新ピタゴラス派のソティオンやストア派のアッタロスといった先生に師事し、ストア派哲学者としての基盤を築きました。
セネカは若い頃に大病にかかり、自殺を考えるほど苦しんだこともありました。
その後、療養と学問を兼ねてエジプトに滞在し、アレクサンドリアで古代の思想や宗教について学びました。
エジプト滞在中にはナイル川を上り、上エジプトやイシス神殿を訪れるなど、広範な経験を積んでいます。セネカは政治家としても活躍し、クワエストル(財務官)やプラエトル(法務官)などの役職を務めました。
弁論術と哲学的な知識は元老院内で高く評価され、存在感を示しました。
また、セネカは第5代ローマ皇帝ネロの幼少期の家庭教師としても知られています。
しかし、後にネロとの関係は悪化し、セネカはネロによって追放されることになりました。道徳哲学や倫理学において、苦痛や死に対する態度、豊かさの真の意味、人間の幸福について深い洞察を持っていました。
彼は自然と調和し、質素倹約を重んじる生き方を提唱。
また、彼の哲学は古代ローマの政治家や支配者に対しても影響を与え、倫理的な統治を追求する人々にとっての指針となりました。セネカはローマ帝国の最も著名な哲学者の一人として知られ、その著作や思想は古代から現代に至るまで多くの人々に影響を与えています。
セネカの名言一覧
1.
我々は眼の中に他人の欠点を、背中に自分の欠点を持つ。
– セネカ -3036
2.
大切なことは、何に耐えたかということではなく、いかに耐えたかということである。
– セネカ -3035
3.
言論が堕落したところでは精神も堕落している。
– セネカ -3030
4.
もっとも厄介な奴隷状態とは、自分自身の奴隷であることだ。
– セネカ -3070
5.
運は我々から富を奪うことはできても、勇気を奪うことはできない。
– セネカ -3048
6.
肉体のために生きるのではなく、肉体なしには生きられないように振る舞うべきである。
– セネカ -3075
7.
粗暴は弱さの一つのしるしである。
– セネカ -3058
8.
富に耐えることができないというのは弱い精神の兆候である。
– セネカ -3062
9.
未来を気づかう心は悲惨なり。
– セネカ -3052
10.
私たちは常に命の短さを嘆きながら、あたかも命がいつまでも続くかのように振舞う。
– セネカ -3076
11.
君が長生きするかどうかは、運命にかかっている。だが、充実して生きるかどうかは、君の魂にかかっている。
– セネカ -3049
12.
すべての残忍性は臆病から生まれる。
– セネカ -3072
13.
成功のおかげで、いくつかの罪は一見公正に見えてくる。
– セネカ -3073
14.
人生はつねに幸福でない、善き人生のみが幸福なのだ。
– セネカ -3045
15.
過去を忘れ、現在をおろそかにし、未来を恐れる者の生涯は短く、悩み事が多い。
– セネカ -3037